2006年度全日本
観戦リポート

愛ちゃんはなぜ日本人に勝てないのか?
福原1(11-7 7-11 9-11 11-13 8-11)4藤井

世界ランク13位と全日本ベスト16

 1月20日土曜の午後、東京千駄ケ谷駅前にある東京体育館メインアリーナでは、全日本女子シングルス6回戦の8試合が行なわれていた。観客の大半が注目したのは、そのセンターコートの右端でたたかう、ひとりの高校生である。その少女の背中には、「福原 グランプリ」というゼッケンがぶらさがっている。
 そう、高校生にしてプロの卓球アスリート、福原愛の一戦に90パーセント以上の観客は注目し、また勝つことを願って応援を送っている。その90パーセントの観客の少なくとも20パーセントは、彼女の試合観たさにここまで足を運んだにちがいない。
 そのことをこの少女は知っている。結論から言おう。だからこそ福原は「全日本」で勝てないのだ。世界ランク13位。次の日本女子の世界ランクは22位の平野早矢香である。世界ランクでいえば、断トツの日本ナンバーワン。しかし、福原の全日本でのこれまでの最高位はベスト8なのだ。そして、今回はベスト16。
 ご存じのように、福原はこの一戦で敗れた。極端な話し、6回戦で敗けようが、一回戦で敗けようが、世界選手権優勝やオリンピックで金メダルを獲ればなにも言うことはない。だが、日本選手に敗けているかぎり、世界ランク13位以上にひしめく、中国や中国出身の外国人選手には勝てないのだ。この勝てないに「絶対」を付けてもいいだろう。
 これから書くことは、福原愛を批判したり、落とし込めたり、ましてやいじめたりすることを目的とするためではない。その逆である。愛ちゃんは世界ナンバーワンに立てる素質を見込んでのメッセージである。福原愛、応援歌として読み流していただければ幸甚である。
 書くからには率直に述べたい。では、なぜ、福原は全日本では勝てないのだろう。一つは、世界ランクは13位であってもメンタルは、ひとりの高校生のそれにすぎないということ。もう一つは、はっきり言ってしまおう。技量が未熟なのだ。身も蓋もない結論である。世界ランク13位を相手に、心技とも未熟とは何たることと、筆者を訝ったり、憤慨したりする読者もいるかもしれない。だが、それはあくまでも「世界のトップになるためには」という条件をつけてのことだ。
 卓球専門誌『卓球王国』では、「全日本優勝予想」として読者の優勝予想を載せていた。それによると福原愛が断然の1位である。これは実力を期待してというより、優勝してほしいという、愛ちゃんファンの願望のあらわれとみたほうがいいだろう。そして、同じく同誌の戦力分析では、福原のメンタルは最高の「5」としていた。ここでは平野も「5」としていたが、相対的評価として福原のメンタルを平野を基準としてみれば、よくて「4」、まあ「3」が妥当ではないだろうか。
 愛ちゃんのそれはわかりやすいのだ。プレーを観ていると、その心境と技術的な問題点がよく見えてくる。非常にわかりやすいタイプのプレーヤーといってもいいだろう。
 こう見るのは、おそらく私だけではない。藤井との一戦を会場で観たひとであれば、そのメンタルの脆弱さを、あるいは卓球を少しわかるひとであれば、その技術の問題点をすぐに指摘できるはずだ。ちなみに、新聞報道によれば、福原みずから「メンタルが弱かった」ことを吐露している。
 福原の実力は、世界ランク13位よりも、インターハイベスト2、全日本ベスト16であると本人は自覚したほうがいいだろう。福原自身はもちろん、コーチ、周囲の関係者は、そのように彼女の心技体を分析したほうが、彼女の今後によりよいコンパスとなるはずだ。

3000万の観衆を背負って

 まず、この一戦の福原愛のメンタルから分析してみよう。
 藤井との6回戦。愛ちゃんは観客の90パーセントを味方につけ、また向正面のスタンドでは、子どもたちの一団が最前列で一致団結した声援を送っている。この試合を行なうコートの周囲には、プレス陣がたかり、そのテレビカメラの映像は日本全国に配信される。紙と電波の媒体を合計すれば、少なくとも3000万は超える読者、視聴者がいて、この一戦を、いや福原愛を観るのである。そういう、期待を背負って、ひとりの高校生の少女は、24歳社会人(日本生命)の藤井とたたかうのだ。
 そして藤井もまた、そのことを知っている。藤井サイドからは、会場では、そして報道を通じて観る、そのほとんどのひとが対戦相手の勝利を願っていることを。サッカーや野球を見るまでもなく、やはりホームの圧倒的な応戦量は大きな援軍になるのだ。藤井にとっては、いわばアウエーのたたかいである。そういう状況のなかで、藤井は冷静に勇敢にたたかった。
 さて、この一戦の最大の山場は、デュースとなった第4ゲームだ。このゲーム、福原は前半かなりリードをとっていた。あの得意の「サアー!」という高いキーの掛け声も、会場いっぱいに響き渡っている。だが、中盤連続して得点され、追い上げられたところで、福原の「タイム」。福原は、この第4ゲームが勝負とみたのだろう。
 そしてタイム後、ここは明らかに強打というところでつないでしまい、藤井の反撃にあって失点。これが3ポイントあった。それはあきらかに、だれが観ても弱気な愛ちゃんである。
 もう、この第4ゲーム中盤以降からは、私も観客も、なんとなく「勝てないかも」という雰囲気が、じわりじわり支配しはじめる。それと同時に、福原の「サアー」もでなくなってゆく。
 福原愛は人一倍の負けず嫌いである。トッププレーヤーのほとんどは、彼女と同じように負けず嫌いだ。この負けず嫌いが、人を強くさせるモチベーションとなる。
 しかし、えてして、この負けず嫌いがプレーの足を引っぱるのだ。「勝ちたい、勝ちたい。負けたくない、負けたくない」という思いがプレーを委縮させてしまうのである。
 心理学的にいうと、「勝ちたい」という勝負にこだわる気持ちというのは「自我」の領域である。いま流行りの脳神経学的にいえば、脳は、あるいは左脳は勝ちたいという、勝負にどこまでも拘泥する性質を有している。
 ここで誤解を恐れずにいえば、勝負にこだわるという気持ちとプレーそのものとは、人間の精神と身体という二つの領域からみれば、分断されたものなのだ。プレーするのは身体なのに、そこに精神というか、脳というか、自我というか、そういう形而上的なものが大きく介入してくると、身体は十分なプレーができなくなる。早い話、ビビる、緊張するとは、そういうことなのだ。
 時間論的には、勝負とは結果であり、プレーしているときには勝負とは未来のことである。ところが、プレーそのものは現在というか「いまの連続」である。「いま」プレーしているときに、未来のことが精神を支配すれば、とうぜんプレーに集中できなくなる。
 ちなみに、フィギアスケートの世界選手権チャンプであり、オリンピックの金メダリストの荒川静香は、「考えると勝てないけど、考えないと勝てるんですよね」と述べている。この言葉の云わんとするところを、福原はよく考えてみることだ。
 緊張するとふだんのプレーができなくなる。そのビビッた影響を直に受けるのが手である。これは脳の専門家である養老孟司 も述べているが「手は脳の最大のアウトプット器官」なのだ。脳というと、いかにも私たち人間の最高の司令塔だと思ってしまうが、最弱の幹にもなる。同じく養老も言うように、脳は身体というアウトプット器官がなければなにもできないのだ。脳が思考したこと、それは身体の各部位が作動しなければ、なんの表現もできないのである。
 私は「手は自我の手先」だと思っている。自我の命令に、もっとも忠実なのが手と言ってもよい。その命令とは「勝ちたい」ということだ。極端な話し、自我はプレーすることなんてどうでもいい。ただ、勝ちたい、ポイントをあげればいいのだ。
 そのために、相手のミスを待って、強打すべき球をつないだり、あるいはとても強打できない球を無茶打ちしたりする。野球でよくいわれる、緊張した場面で、投手が「球を置きにいく」、打者が「球を当てにいく」ということが起こる。これはあきらかに、手が身体のどの部位よりも優位になってしまったことで起きることなのだ。
 これはたとえば、この一戦でいえば、こんなシーンだ。第4ゲーム中盤だったと記憶するが、藤井の福原へのフォアサイドのスピン系のサービスに、福原は藤井のフォアサイドにループドライブで「攻めた」のだ。このループを藤井は、待ってましたとばかりに強打して得点する。そりゃそうだろう。このサービスをクロスに、しかもループをもっていくというのは、正直にバカが付くし、しかもループでは「攻めた」ことにはならず、まるで低いロビングを相手のために供給したようなものだ。
 この福原の一打は、あきらかに勝ちたいという自我が打たせたものだ。ループドライブというトップスピンをかけているのだから「攻撃」なんだ、そこには一応トップスピンボールだから相手はミスってくれるかもしれない、という「期待感」を福原のそのプレーに感じてしまった。
 これはとっても大事なことだから、これを読んでいる卓球プレーヤーも肝に銘じていただきたい。相手のミスを期待してプレーしてはならない。もちろん、相手の弱点を突き、ミスを誘うのはとうぜんだが、相手がミスするのを願いながらプレーするとき、それは身心が分離して、自分本来のプレーができなくなるのだ。
 以上のようなことを、会場の多くの福原を応援していた観客は、私が見たと同じように見たのでのはないか。それが、あの第4ゲーム後半、そして第5ゲームの会場の雰囲気となって露呈したのだ。いつのまにか、サアーは出なくなり、子どもたちの声援はたえだえとなり、多くの観客は愛ちゃんの敗北を漠然とだが予感してしまった……。
 あの、福原が負けた直後の会場全体を覆ったなんともいえない虚脱感は、「あぁ、これで、今年度の全日本の愛ちゃんの試合がもう見られない」という気持ちだけではなかったように思う。そこには、あまりにも愛ちゃんの弱気な試合を観た、後味の悪さも加味されていたことは間違いない。逆に言えば、それだけ愛ちゃんの活躍とすごいプレーを楽しみにしているファンが多いことの証明でもある。
 では、なぜ、福原は全日本で弱く、世界で強いのか?
 それは国内の日本人相手の試合では負けられないというプレッシャーからくるものであり、世界では負けてもうしなうものがない、という精神状態が起因しているとみて間違いあるまい。
 いいかい、愛ちゃん。世界ランク13位、日本人プレーヤーとしては最高の地位にいる私が、それよりも下位の日本人プレーヤーに負けてはいけない、なんて考えなくていいんだよ。
 また、周囲の期待感なんてどうでもいい。そんな期待感に応えようなんて律義に思わなくていいんだよ。私は私が満足できるように精一杯やる、という気持ちが大切なんだ。こんなにたくさんのひとが応援してくれているから頑張らなくちゃではなく、こんなに多くのひとが応援してくれる私は幸せです、程度の気持ちでいいんだ。
 そんなことより、あなたは自分自身が心の底から満足できるプレーをめざしなさい。自分の秘めた能力を最大限に発揮するには、どういうことをなせばいいのかを指向しなさい。外部の期待感ではなく、自己の内発性にこそ依拠しなさい。それこそが、自分を信じることです。そうして、そうすることが、ゆくゆくは、応援してくれるみんなの期待に応えることになるのだから……。

 次回は福原愛の「技術的問題点」、「日本人的自我の問題点」について展開したい。

(秋場龍一)

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