呼吸に意識を向け集中すると歓びがわいてくる

練習は呼吸法でスタート

 私が指導している中学校卓球部の練習は呼吸法からスタートする。なぜ、呼吸法を 取り入れたかというと、この中学校は公立で、練習日が週2回、1回2時間程度しか とれない。また、この練習日でさえ、学校行事、授業の居残りなどで、年間を通すと 3割はカットされる。夏休みも1週間程度、冬休みはゼロ、春休みは3日程度であ る。とうぜん、絶対的な練習量はすくない。しかし、それでも最低限の基本技術は身 に着け、最低、都大会には出場できるくらいの力量をもちたいと願った。
 年間2000時間以上の練習時間をとる強豪公立中学もあると聞くが、さて、わが中学 は200時間程度か。部員のなかで、2、3人は地域のクラブに入っているが、それでも 合計で400時間もないだろう。10分の1から5分の1程度で、強豪と互角にたたかおうと いうのだ。
 10分の1の練習時間では、さすがに絶対練習量の不足だが、たとえば、1日4時間だ らだら練習するよりも、2時間でも集中して練習したほうが上達すると私は思う。こ れは確信をもって断言できる。むしろ、だらだらやるなら、スポーツの練習なんてや らないほうがいいとさえ思う。集中してやることが、スポーツの醍醐味であり、集中 することで微妙なテクニックのコツをつかむことができる。
 スポーツの奥は深く、深くなるにつれて壁は厚くなるが、だが深ければ深いほど、 スポーツのほんとうのおもしろさが味わえる。天才ジョッキー武豊は「仕事に正面か ら向きあわずにいると、奥へ踏み込んでいくことができない。中にあるおもしろい領 域に届かない」と述べているが、その「おもしろさ」を保証するのが「集中」であ る。
 さて、わが卓球部の練習量のすくなさを、できるかぎり正しい基本技術のレクチャ ーと、集中力でカバーしようと考えた。練習時間はないより、あったほうがいいにき まっているが、それは集中したという前提があってのことだ。量より質で勝負という わけだ。とくに、「集中」ということに関しては、きびしく指導した。どんなに、運 動能力や卓球センスがない子でも集中することはできるはずだ。集中しろ、と注意す るだけではなく、集中するためのメソッドもどんどん取り入れた。その一つがこの呼 吸法である。そのやりかたを紹介しよう。

1.あぐらを組む。
2.背筋を伸ばし、あごをひき、軽く目をつむる。
3.鼻から息を吸って、お腹にふくらませるように空気を入 れる。
4.そこでいったん、ぐっと呼吸を止める。
5.そして、できるだけゆっくり息を吐く。
6.このとき、意識は呼吸に集中して、何も考えない。何か 雑念が浮かぶとすぐに呼 吸にもどす。
7.これを6セット、約2分間行なう。

 この呼吸法は卓球やスポーツだけに適したものではない。私たちの日常生活のどん なシーンにでも活用できる。朝起きたときでもいいし、仕事を開始する前、あるいは 不眠症でなかなか寝つけない人にも効果があるかもしれない。また、試合前にやる と、極度の緊張をほぐしたり、テンションが上がらないときは適度に高めることがで きるだろう。
 前回述べたように、自律神経系の交感神経と副交感神経は、呼吸に大きく左右され るのだ。この呼吸法を実行することで、交感神経と副交感神経を調整することができ るのである。 

達人と専門家の呼吸法

 この呼吸法は、以下に紹介する武道の達人とスポーツ医学の専門家の呼吸法を参考 にしたものである。
 オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』(訳/稲富栄次郎、上田武、福村出版、一九八一) は不朽の名著だろう。武道はもちろん、アスリートには必読の書である。いかに、日 本の弓道、武道というものが奥が深いのか思い知るだろう。
 この本に登場する弓道の達人、阿波師範は呼吸について、このように語っている。

 「あなたにそれができないのは、呼吸を正しくしないからです」と師範は私に説き 明かした。「息を吸い込んでから腹壁が適度に張るように、息をゆるやかに圧おし下 げなさい。そこでしばらくの間息をぐっと止めるのです。それからできるだけゆっくりと一様に息を吐きなさい。そして少し休んだ後、急に一息でまた空気を吸うので す。こうして呼気と吸気を続けて行ううちに、その律動は、次第に独りでに決ってき ます。これを正しく行っていくと、あなたは弓射が日一日と楽になるのを感じるでし ょう。というのはこの呼吸法によって、あなたは単にあらゆる精神力の根源を見出すばかりでなく、さらにこの源泉が次第に豊富に流れ出して、あなたが力を抜けば抜く ほどますます容易にあなたの四肢に注がれるようになるからです。(46頁)

 もちろん、ここで述べられていることは弓道だけに役立つものではない。卓球する 人にも役立たないわけがない。
 さらにもう一人、こんどはスポーツ選手の身心のコンディショニングをサポートし ているスポーツ医学の専門家である辻秀一の呼吸メソッドを聞こう。

 集中力の源は、身体の中心のへその奥10センチぐらいのところにある丹田(たんでん)というところです。腹式呼吸でこの丹田という所に意識することが、集中への原点と いわれています。腹式呼吸は、鼻から吸って、止めて、口から吐く、これを4:1: 10のタイミングで行ないます。試合の前だけでなく、練習の前、寝る前などにも練習 してください。いざというときにできれば瞬時に集中できるようになります。(辻秀 一『スラムダンク勝利学』集英社インターナショナル、2000、145頁)

 この呼吸法は、いまやスタンダードなもので、スポーツ界ではかなり定着し、メン タルトレーニングのウォーミングアップのようなものとなっている。しかし、残念な がら卓球界では呼吸法を取り入れている例はあまりみない。

スポーツのリズムと呼吸

 また、呼吸を脳との関連で見ても、その効果は明らかだ。呼吸法によって脳に供給 される二酸化炭素の量が減ると、大脳皮質の活動が鈍くなって、知覚への反応も鈍化 し、外部から脳へ入ってくる情報が少なくなる。脳幹に広がっている脳細胞のネット ワークである網様体が減って、脳が静かな状態になる。つまり、外界から入ってくる 余計な情報のインプットが抑制され、それだけ集中できるわけだ。
 精神世界に精通した日本の第一人者である吉福伸逸は次のように呼吸の大切さを説 く。

 スポーツの基本はリズム。人間の基本的なリズムも呼吸。スポーツは呼吸を通して 体と心がつながっている。呼吸がいいチャンネルにならないと、心が体から離れてい くから、体はうまく動いてくれない。呼吸のリズムを通して、心と体が一種シンクロ ナイズしていく。呼吸とともに心が体に充満する。

 呼吸というのは、まるで心と体を結ぶ「風」のようではないか。この風によって、 私たちは心と体が一体となって、集中することができるのだ。正しい呼吸は、心と体 を静寂にする涼風である。
 吉福は、個々の生命はリズムをもっていて、私たちのリズムがもっとも顕著にあら われているのが呼吸のリズムであり、呼気と吸気は同時に命のやりとりでもあるとい う。私たちは、呼吸によって心と体を結ぶばかりか、生命のみなもとというか、阿波 がいう「それ」と結ばれるのではないだろうか。
 『呼吸による癒し 実践ヴィパッサナー瞑想』の著者であるラリー・ローゼンバ ーグはこのように述べる。

 集中した心とは幸福な心です。瞑想の初心者でも、ほんのわずかのあいだ呼吸に意 識を集中できたときにはこの事実を体験します。他に何か特別なことが起こっている わけではありません。集中することそのものが喜びに溢れています。より意識的に呼 吸と共にあることを学ぶと、そこからある種の喜びが湧き出してくるのです。


                    (秋場龍一)