指導者論 卓球経験のない卓球部顧問の先生のためのセミナー of 卓球技術研究所t3i

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指導者論 
卓球経験のない卓球部顧問の先生のためのセミナー

その1

どれだけエネルギーがそそがれているか



あともうすこしで新学期が始まります。

ここのところ卓技研へ、
「この4月から卓球部顧問になったのはいいが、
卓球の経験はまったくなく、
いったいどうやって
生徒たちを指導したらいいのか困っています」とか、
「卓球経験はあるものの、
子どもたちをコーチしたことはなく、
いまの子どもたちにどういう指導がいいのかわからない」という、
中学校の先生や地域クラブのリーダーの方たちの
質問がぐんと増えています。

そこで、今回はこの質問を「指導者論」として、
まとめて展開してみましょう。

まず、展開する要点を先に挙げてみます。

① 卓球はおもしろい

② 卓球はスポーツだ

③ 伝統校を利用する

④ 球拾い

⑤ 物語の作・演出

⑥ オープン・ハンド

⑦ 基本技術

⑧ 3球目攻撃

以上の8項目ですが、これだけ見ても、
おおよそ卓球部指導の大枠は
ご理解いただけるのではないかと思いますが、
あすから順に述べていく予定です。

そのまえに、
私が考える卓球が上達する
もっとも大切なことをまず述べておきたいと思います。

それはエネルギーです。

私は卓球の強い子どもを見るといつもこう思うのです。

この子にはいったいどれだけのエネルギーが注がれているのかと――。

全国にはたくさんの少年少女たちの卓球クラブがありますが、
その成績の優劣は、そのクラブの指導者の
子どもたちに注がれるエネルギーの総量に比例すると見ています。

また、中学・高校には毎年かならず
全国上位に進出する「伝統校」がありますが、
そのような学校の指導者はまちがいなく、
ものすごいエネルギーを生徒たちに注いでいます。

ちなみに、中学以下の年齢層の
地域大会などに出場するクラブの子どもたちを見ていると、
そのクラブの指導者のパーソナリティも見えてくるものです。

子どもを指導するというのは、
多くのエネルギーを注ぎ、
また指導者本人の人間性も反映させてしまうシビアな面もありますが、
適切にエネルギーを注ぐほどに、
子どもたちはぐんぐん目を見張るように伸びてくれるものです。

そして、子どもたちから多くの大切なことを教えられ、
指導者たるおとなが自己成長することになるのです。

指導者は子どもたちを試しているようで、
実は子どもたちによって指導者は試されているのです。

エネルギーを注ぐほど大変さや苦しさも増量しますが、
よろこびやおもしろさもそれ以上に増量します。


その2

「こどもの遊びのたのしさ」から「スポーツの深いたのしさ」へ

① 卓球はおもしろい

とくに自分がそうだったから、
とりわけそう思うのかもしれませんが、
卓球は実におもしろい「遊び」です。

おとなになって長いいまでもおもしろいのですが、
少年時代、
とくに小4あたりから中2くらいまでは、
卓球をやりはじめると、
もうすぐに時間を忘れて無我夢中になったものでした。

まあ、私の場合は他の生徒とくらべても、
卓球が飛びぬけて好きだったのですが、
でも卓球部に入ってくる子どもというのは、
かなり卓球が好きだということはまちがいないでしょう。

この「卓球がおもしろい」「卓球が好きだ」というのは、
かなり純粋なモチベーションですから
(私はこれを「たましい」のはたらきだと考えます)、
まずはこの子どもの気持ちを
最大限に理解してあげることが
なにより大切だと思います。

そして、こんなおもしろくて、好きな卓球を、
もっとおもしろく、もっと大好きになるように援助するのが、
まずは指導者の役目ではないでしょうか。

それはきみたちも卓球部でクラブで、
しっかりと練習することで、
ラリーがつづいたり、
打つと落ちたり、横にとび跳ねたりするサービスだったり、
右に左に曲がるドライブだったり……、
とすごいプレーができるんだという夢や希望が、
実現・達成できるということを信じさせることです。

つまりそれまでの「こどもの遊びのたのしさ」から
「スポーツの深いたのしさ」を提示することです。

でも、これは意外とむずかしいことで、
多くの中学卓球部では
「こどもの遊びのたのしさ」から抜け出せず、
また一部の強豪校の卓球部では
「スポーツの深いたのしさ」を試合の勝ち負けにすりかえてしまい、
もっとも大切な「おもしろさ」を置き忘れています。

「こどもの遊びのたのしさ」を
卓球をする子どもたちの原点として忘れないでだいじにし、
そのリビドーと呼んでもいい純粋なエネルギーを
「スポーツの深いたのしさ」へと転化させるのが
指導者の原点ではないでしょうか。


その3

卓球指導者としての必要絶対条件

② 卓球はスポーツだ

「卓球はスポーツだ」って、
あたりまえのようですが、
でもそれがなかなかそうにはなっていないのが、
卓球界の現状です。

きのうの、その2で述べた
「子どもの遊びのたのしさ」
のままの中学卓球部や町中のクラブがけっこうというか、
かなりあるわけです。

卓球はひじょうにお手軽にプレーできたり、
ゲームをやることができるので、
ほとんど子どもの遊びの延長で、
学校の卓球部も運営されてしまうのかもしれません。

まあ、この「お手軽」というのが、
卓球のいいところなんですが、
でもそれがわざわいしてか、
「スポーツをする」という自覚が
どうも欠けるきらいがあります。

そしてこの「自覚を欠く」と、
その卓球部全体も強くならないし、
個々の部員の上達も望みがうすくなります。

なぜなら、「お手軽」な「子どもの遊びのたのしさ」でやるのと、
「スポーツの深いたのしさ」を求めるという気持ちでやるのとでは、
上達進度がちがってとうぜんでしょう。

卓球の強豪校や伝統校は、
「スポーツの深いたのしさ」を希求するかはともかく、
すくなくとも「スポーツとしてのパフォーマンスを高める」
という意識でクラブは運営されているのです。

結局、一握りの「強豪校」と
あまたの「弱小校」を峻別するのは、
この一点に尽きる、
と言っては言いすぎでしょうか。

こんなことを述べると、
「私たちはたのしく卓球をすればいいの」、
「強豪校のような苛酷な練習なんてやりたくない」
などという意見も聞こえてきそうです。

しかし、小学生の低学年ならまだしも、
小5・小6、あるいは中・高となってまで、
「子どもの遊びのたのしさ」
のままで卓球はつづけられないものです。

そういうレベルの遊びは年齢があがるにつれ飽きて、
あまりおもしろくなくなってくるのです。

ところが、「スポーツの深いたのしさ」
を求めると飽きるどころか、
それを求めれば求めるほど、
その深さはどんどん深まってきます。

たぶん「探究心」とはこういうことから生まれ、
どこまでも尽きぬたのしさがあるのです。

もちろんこのタイプの「たのしさ」は、
単純なたのしさではなく、
苦しみがともなうたのしさなのですが、
これは飽きるどころか、
尽きぬ味わいがあります。

強豪校の苛酷な練習というのも、
苦しいなかに
それは深い快感をともなうものなのです。

練習には苦しいばかりの「不条理な苦しさ」もありますが、
「充実した苦しさ」みたいなものも存在するわけです。

ただ苛酷だけの不条理な苦しさでは、
どんな意思の強い者であっても、
わずかな休日で、何年間も練習を
つづけられるわけはないのです。

どうか子どもたちの指導者は、
この「スポーツの深いたのしさ」
を希求していただきたいものです。

そういう志向性をもつならば、
少年少女たちの卓球指導者として
輝かしいものが約束されるでしょう。


その4

まずは「守破離」の「守」から。
コピーすることから、技術獲得がはじまる。

③伝統校を利用する

では、卓球経験がまったくない場合、
実際の実技指導はどうすればいいのでしょうか?

いちばんはじめにお薦めしたいのが、
学区とか同じ市区町村の卓球伝統校とか強豪校に
練習見学をお願いしてみることです。

時間さえ合えば、そういう学校の指導者は
オープンに見学を許してくれるでしょう。

そればかりか、
練習相手にもなってくれることもあるでしょう。

卓球の指導者というものはそういう人が多く、
卓球に熱意があるなら他校の生徒であっても、
求められれば指導さえするものなのです。

それは卓球界では世界共通であり、
むかし日本が世界を席巻していたころは、
日本のトップ選手は他国の選手にも
技術指導や来日した武者修行の外国人を歓待しました。

また逆に、かつて世界ナンバーワンになった
スウェーデンのワルドナーやパーソン、
あるいは中国のトッププレーヤーなども
日本の各地を回って実技講習をおこなってくれました。

さて、伝統校訪問には3つの目的があります。

1つはもちろん、強い子たちの実際の実技、
たとえば、どういうフォアハンドロングやドライブ、カットなどの
フォームやフットワークなどをしているのかを、
部員たちに見せるためです。

ビギナーには、まず強い選手の実際のプレーを見せるのが、
なにより得るものが大きいのです。

人間はイメージできないと、
なかなか技術的な行為をすることではできません。

まず、見ること観察することによってイメージすることができ、
そのイメージによって、
その行為を真似ることからはじめるわけです。

禅にならうなら「守破離」の「守」、
つまり「型」を徹底的に学習するわけです。

これはつまり、「真似る」こと。
「コピー」することです。

そのコピーする元を
伝統校や強豪校にお願いするのです。
彼らが卓球の教本になるわけです。

もちろん文字通り、
卓球入門書や動画(DVD)などを繰り返し見せることも、
かなり有効にはたらきます。

練習前に部員たちを学校の視聴覚教室に集め、
トッププレーヤーの技術を見せることを、
私も公立中学の指導者(学外コーチ)だったころ
ときどきやりました。

伝統校というのは、
もう何十年と強豪でありつづけているのですが、
それを保障するのは、
強い子をスカウトするとか、
有能な指導者がいるとか、
学校が力を入れて、練習時間や設備が充実しているとか、
父兄の強力なバックアップとかありますが、
なにより大きいのは
強い先輩の練習をいつも見ている環境にあります。

都道府県や全国で上位クラスのプレーヤーが
いつも同じ練習場にいて、
一緒に練習しているわけですから、
たえずそのうまいプレーぶりを見て、コピーできるわけです。

自分が卓球の実技の見本を見せられなければ、
近くの伝統校の選手たちのプレーを見せればいいのです。

もう1つの伝統校見学の目的は、
実技を見せるだけではなく、
有能な指導者から疑問点を直接尋ねることができ、
生徒だけではなく、
新米の指導者の教官を得ることにあります。

そしてさらにもう1つの目的は、
生徒たちに伝統校の練習の雰囲気や
キビキビとした動きなどを感じ取らせることです。

実は、伝統校見学の目的はこれがいちばんです。

私は、この伝統校の練習風景を感じ取らせるために、
公立中学男子卓球部の部員たちを学校近くにあった、
女子の名門伝統校に
何度かお邪魔させていただいたことがあります。

なぜ、女子中なのかというと、
名門の女子卓球部のほうが、
男子名門校よりも
訓練というか規律が行き届いているからです。

まあそうはいっても、
最初の訪問は若干心配はありましたが、
こちらの危惧などすぐに吹っ飛ぶほど、
それはしっかりとした練習ぶりでした。

自校の生徒に、口を酸っぱくしてクラブの規律を話すよりも、
いいお手本を実際に見せてやるのが手っ取り早いのです。


その5

規律と技術的レベルは等式で結ばれている


④球拾い

きのう(③伝統校を利用する)で
「生徒たちに伝統校の練習の雰囲気や
キビキビとした動きなどを感じ取らせることです」
と述べましたが、
この伝統校の部員たちと、
その他弱小校の部員たちの練習の雰囲気や動きなど、
部活における規律ある行動において、
雲泥の差があります。

はっきりいって後者のそれは
ひどすぎる学校が多いようです

とくに中学です。

他の種目の運動部はどうなんでしょうか? 
私は規律のとれていない卓球部(とくに公立)が
多いように思いました。

このようなことを述べると、
「おまえは体育会系のスポ根オヤジか」と
胡散くさくみられるかもしれませんが、
一部のいわゆる体育会系のいいところは踏襲しているものの、
その弊害は大きいと認識するタイプです。

むしろ私という人間にとって
「規律」ということばほど似つかわしいものはないでしょう。

その人間が「規律」などというのは、
少年少女のスポーツクラブにおいて
「適切な規律」のもとで彼ら彼女らが活動するのは、
それがない状態よりも圧倒的に「たのしい」からなのです。

もちろんこの「たのしさ」には前述したように、
それなりの「苦しみ」もともないます。
しかし、このたのしさは
「おとなのたのしさ」あるいは「高度なたのしさ」なのです。

ほどよい緊張感に包まれた環境のなかに、
人間が深く集中する条件が生まれます。

ほんとうに、部員みんなが深く集中した状態にあるとき、
その練習場は充実感にみたされます。

そういう環境、そういう精神状態にあるとき、
子どもたちの姿は気高く屹立するのです。

そしてこういう状態にあるとき、
ピークパフォーマンスが頻発し、
そのパフォーマンスのレベルが、
そのまま本人の力量として肉付けされます。

それには適切な「規律」が必要となってきます。

規律と技術的レベルは等式で結ばれているのです。

だから伝統校というのは規律にきびしいのです。
これは体育会系の精神論ではなく、
まったく合理的な技術論なのです。

さらに、こういう規律のもとで、
醸成される環境や状態にたたずむとき、
それは人間が集団にならないかぎり味わえない
精神的高揚が生まれます。

端的にそれは「たのしい」のです。
うんとたのしいのです。

その「規律度」がどこまで浸透しているかは、
部員たちの「球拾い」のようすを見ていると一目瞭然です。

多球練習で床に散らばった多くの球を
部員たちがどんな態度で拾っているのかを見れば、
その部の規律レベルというか訓練レベルはすぐにわかります。

あるいは、となりの台で試合をしていた球が
自分の足元に転がってきて、
それを拾って返してあげるとき、
相手のどこに返しているのか? 

どこに投げ返せば、
相手は受け取りやすいのかを考えさせ、
たとえば相手が右手にラケットを持って球を取りにきたなら、
その球を返球するときは、
相手がキャッチしやすい左手にやさしくトスをする、
などと教示するのです。


その6

メンタルブロックをぶち壊せ


⑤ 物語の作・演出

人はそれぞれが「物語」のなかで生きている、
と私は考えています。

その人の人生は、その人の物語なのです。

その物語を創作するのも、
主人公になるのも、
演出するのも、
またその物語を読み手になるのも、
批評するのも、
すべてその本人なのです。

その自分だけの物語を自作・自演・自評するのが
人生だと考えています。

そして、その物語が傑作か駄作かを決定するのも、
すべてその本人です。

人間の「組織」にだって、
そこにはかならず「物語」が潜んでいます。

メンバーがつまらなさそうに活動している組織は
詰まらない物語しかその組織にはなく、
みんな生き活きしている組織は、
たのしい物語が
組織のメンバーに共有されています

スポーツ・チームもしかりです。

そのチームのメンバーが、
生き活きフレキシブルに活動するかどうかは、
そのチームの指導者が作・演出する
「物語」の水準にかかっています。

たとえばサッカーを例に挙げましょう。

南ア・ワールドカップ日本代表の目標を、
岡田監督は「ベスト4」としましたが、
これは岡田作の「物語」の提示なのです。

日本の実力からいえば
ベスト4はかなり高い目標です。

しかしベスト4というのは、
「もしかしたら、ひょっとしたら」
ありえるかもしれないというレベルです。

これが優勝といってしまうと
「夢物語」というか「大ボラ」に聞こえてしまうだろうし、
1次リーグ突破のベスト16とかベスト8だと、
目標としてはセコイというか、
ベスト16は日韓大会で達成しているし、
その日韓大会で韓国はベスト4に入っているので、
ベスト8も韓国を意識する日本としては合点がいかない、
というところでの「ベスト4」なのでしょう。

この辺の物語の創作は、
チームの監督というか指導者の
力量とセンスが試されるところです。

提示された物語が、
チームのメンバーに共感をもって 支持されれば、
その物語のプロローグ、つまり「つかみ」は大成功です。

メンバーがその物語をありありとイメージすることができ、
みんなで共有できれば、
そのチームの活動が輝かしいものになるのは約束されます。

ではたとえば、いつも地区大会で負けて、
その予選を突破して、
いまだ一度だって
都道府県の大会に出場したことがないチームだとします。

そのようなチームの場合、
いきなり県大会優勝だとか、
あるいはヤマダに勝つぞなんていっても、
部員に嗤われるだけでしょう。

妥当な線として、
地区予選を勝ち抜いての県大会出場というところでしょう。

この目標も、いまの自分たちのレベルからいえば、
かなりハードルが高く、
卓球経験のない指導者からみれば
絶望的に映るかもしれません。

しかし、青森山田のような全国的な伝統強豪校を除いて、
地区の強豪校というのは雲の上の存在ではなく、
それなりの原則にしたがって訓練すれば、
十分互角にたたかえるレベルなのです。

ただ地区の強豪の指導者は、
その「原則」を知っているだけなのです。

このときチームのメンバーにとって、
もっともやっかいなのが、
「あの学校には勝てない」という心理的なカベです。

今回のG3「スポーツのピークエクスペリエンス」(11)http://g2.kodansha.co.jp/?p=3970
でも展開しているように、
「メンタルブロック」が人の成長を止めているのです。

そのブロックをぶち壊すのが「物語」です。

物語を指導者がメンバーたちに語り聞かせることによって、
メンバーたちのイメージのなかのブロックに穴が開くのです。

もちろん「目標」の提示だけが物語ではなく、
メンバーたる子どもたちを生き活きとした活動へと駆り立てる
モチベーションを作りだすために、
時とテーマにふさわしい物語を
いつも創案しなかればなりません。

このような物語を創作・演出し、
それをもう一人の自分が観客や読み手、
あるいは批評家となって
客観的に分析しながらクラブを指導してゆくと、
なにより指導者自身が生き活きと輝き、
いつのまにか「できる指導者」になっていることでしょう。

そのチームを活かすも殺すも、指導者の「物語力」です。
それは固定観念や愚かなこだわりを払拭した
想像力にあります。


その7

サービスを見ると、
チームの指導者のレベルも見えてくる


⑥オープンハンド

「オープンハンド」とは、
サービスのとき、
指を開いてボールをのせる卓球のルールのことです。

このルールが中学の大会では、
じつにひどいありさまです。

区や町村など規模の小さな地域の大会では、
このルールを守っている学校のほうがすくないのです。

いいですか、守っているのが少数で、
守っていないのが多数なのです。

もう指を曲げるのは“普通”で、
ボールを”握る“というのもアリの無政府・無法状態です。

これが大会のランクが、
たとえば東京なら区→地区→都→関東→全国と
上級するにしたがって
ルールを守っていない学校がすくなくなります。

同じく東京(→関東)の例では、
区10%、地区40%、都70%、関東90%、全国100%という、
おおよそこんな比率でルールが守られています。

さすが関東大会ではみんな守っているだろうと思っていたら、
個人戦の初戦の関東の某県の相手が、
オープンならぬ、まったくの“クローズハンド“でした。

言うまでもなく、
ルールに則っておこなうから
スポーツが競技として成立するわけで、
卓球の中学大会のこのような現状はおそろしくいびつです。

この「オープンハンド」にはふたつの法則があります。

それはルールを守らない学校ほど、
卓球の実力が下位であり、
その指導者のパーソナリティも問題があるということです。

ですから、東京都の区の大会では違反サービスを出していても、
いちいちクレームをつけることはしませんでした。

そんな学校に負けることはないし、
ルールを守らない学校のほうが多いし、
だいいちその学校の生徒が、
オープンハンドなどというルールがあることを知っている
のかさえ疑わしいのですから、
の生徒個人にクレームをつけても
ラチがあかないからです。

まあ、高校生や大学生、社会人ともなれば、
その個人に問題の帰趨は求められるべきでしょうが、
子どもから大人になりかけの中学生では、
その所属する指導者に問題があることは明らかです。

一度、●●区の卓球部の顧問、
つまり卓球指導者が集まる会合で、
このサービスを守るようにお願いしたところ、
思わぬ反論が返ってきました。

それは「中学生にオープンハンドなど無理ですよ」という、
なんていったらいいのか、
まったくトホホな返答です。
お話になりません。

じゃあ、なぜ同じ区内にある
伝統校や私が指導している学校の生徒は
できているのでしょうか? 

同じ年齢、同じ中学生です。

これは一種の「あまえ」でしょう。
みんなが守っていないのだから、
ウチも守らなくていいんだ、という……。

でも、そのルールを守らないツケは
きっちり払わされていることを
彼ら顧問の先生方は知らないのです。

わたしは毎年、中一で新しく入部してきた生徒を集めて、
このサービスやその他のルール、
それにネットイン、エッジなどマナーについて話しました。

ひと通りの説明が終わると、こう言います。

「他校がたとえ守っていなくても、
●●中卓球部はフェアプレーでいくから」

たった一回、この言葉だけで、
ほとんどの生徒はルールやマナーを守るようになります。

「ぼくらの学校はフェアプレーなんだ」と思い、
そのことが自分と自分たちのチームの誇りになるようです。

大人になりかけの子どもに、
「自尊感情」が芽ばえるからです。

といってもなかには、
とくに町の卓球クラブに小学生のときから所属していて、
そこの指導者や先輩連中がよくないのか、
ヘタに卓球経験のある子のなかに、
ほんのすこしですが守らない生徒もいます。

そんな子には、こう言います。

「オープンハンドサービスができないということは、
きみは都大会には出たくないんだ」

この言葉は効きます。

実際、区大会ではなくても、
都大会ではクレームがつけれられることが多くなります。

小学校から町のクラブで卓球をしている子というのは、
卓球の戦績に関するモチベーションがかなり高く、
都大会クラスには出場して当然だと思っているからです。

これは別のテーマになりますが、
町のクラブに所属している部員、また親が卓球経験者の子は、
所属意識というか、
その子のアイデンティティは町のクラブや親のほうが大きいので、
卓球のスイングフォームなどのテクニカルなことや
町のクラブと学校の卓球部という団体組織の規範についても
問題が生じることがあります。

ほとんどの町の卓球クラブの指導者や卓球経験のある親は
部活動にたいして理解があるのですが、
ほんの一部に、
お恥ずかしい指導者や卓球モンスターペアレントが存在します。

しかしいくらそんな子が実力的に強くても、
迎合しないで厳格に守らせるよう姿勢を強くすることです。

そんな指導者や父兄には断固として対決しなくてはなりません。

それが部全体の運営を円滑にすることでもあり、
またそんな子のためでもあるのです。


その8

オープンハンドサービスと
指導者のモチベーションとパーソナリティ


⑥オープンハンド(続)

オープンハンドサービスなど、
ルールを生徒たちに守らせない指導者は、
端的に卓球指導者としてのモチベーションが低い傾向にあります。

なぜなら、都大会→関東大会→全中と
コマを進めるにしたがって
ルールを順ずることに厳格になります。

ということは、
ルールに則ったサービスを教示しない指導者というのは、
もうハナから上級の大会に出場するという意欲がない
という態度表明になるからです。

仮にそういう指導者のチームが地域の予選を突破して、
都大会や県大会に出場したとき、
審判からサービスのルール違反だとフォルトを取られたとき、
すぐその場でオープンハンドサービスができるかというと、
よほど器用な子でないかぎりできないものです。

オープンハンドサービスはそんなにむずかしいものではなく、
2、3日練習してなれると、
何の苦もなくできるようになりますが、
公式の試合の場で、
指を開いてボールをのせて投げ上げるように言われても、
そうは急にできないものです。

そういう光景を試合の現場で何度も目撃しています。

ちなみに、サービスにまつわるこんなケースもあります。

日ごろ練習場で
ビギナーにあれこれ上から目線で教えを垂れていた
社会人のいい歳をした大人が大会に出て、
その明らかな違反サービスを指摘されるとアタフタして、
それこそビギナーに毛の生えたような相手に負ける
ことも何度か見ました。

それは日ごろの態度が態度ですから、
そのみじめさがより鮮明に浮き彫りになり悲惨な光景です。

やはりむずかしくはないけど、
急にその場でオープンハンドサービスはできないのです。

あるいはこんなケースもあります。

その地域では強く、
いつも予選を突破して
都大会には顔を見せる学校があります。

これは私立中で、指導者も卓球経験があるらしく、
まあそこそこの卓球はしてくるのですが、
その学校の選手は
全員がオープンハンドサービスをしません。

毎年かわらずにです。

なぜなのかというと、
都大会に出ても、
その違反サービスに審判も、対戦チームも、
クレームをつけないからです。

もし、いままでクレームやフォルトを取られるなど
痛い目にあっていたら、
正しいサービスのやり方を指導してくるはずですから。

なぜその学校にはクレームをつけられないかというと、
その学校の実力が認められていないということと、
いつも大柄な態度のその指導者を
相手にしたくないという理由からです。

要するに、その指導者は
まっとうな社会人として
相手にされていないということです。

一貫して違反サービスをつづけていることにたいして、
周囲の指導者や大会関係者、
また訓練された学校の選手たちから
蔑みの眼で見られていることを
その指導者はよほど鈍感なのか、
あるいは無知なのか、傲慢なのか、
是正しようとしないのです。

そして、なにより悲惨なのが、
そんな指導者のもとにいる子どもたちです。

あるいはなかにはつぎのような
狡猾としかいいようのない指導者もいます。

それは対戦相手のサービスに言いがかり的なクレームをつけ、
指導者の威圧によって
審判をしている他校の生徒に
フォルトを取らせるというものです。

そのクレームによってフォルトで得点することを
まるで戦略化しているような態度です。

はっきり違反サービスならもっともなクレームなのですが、
クレームを指摘された選手のサービスは
違反にカテゴライズされないケースで、
言いがかりとしか言いようのない強引さで
クレームをつけるのです。

この手の指導者は
伝統校などには絶対にクレームはつけません。

伝統校の指導者はルールをよく知っているからです。

クレームをつけるのは接戦のケースで、
しかも相手が無名の学校のケースです。

おそらくそういう学校は卓球のルールなどよく知らないから、
クレームをつければ通るだろうという姑息な考えからです。

こんな指導者に教わる子どもたちは、
いったいどんな卓球選手として育っていくのでしょう。

以上のようなネガティブなことはあまり述べたくはないのですが、
中学のコーチを10年経験したなかで、
どうしても一度でも伝えておきたかったことです。


その9

ロング打法は
強打することで
基本技術の水準が判別できる

⑦基本技術

ここで述べる基本技術とは
ロング打法についてです。

わたしはロング打法においての「基本技術」は
強打ができることだと考えています。

そう、フォアハンドならフォアハンド強打が、
バックハンドならバックハンド強打です。

この強打がちゃんと打ててはじめて、
フォアハンドなりバックハンドなりの
基本技術が実に着いたということです。

ロング打法で強打がミスが多いのはもちろん、
威力がなかったり、
正確なコース打つことができないのは、
基本技術ができていないとみます。

なぜなら、実際の試合においては、
普段練習でやっているようなラリーはほとんど使わないし、
また試合中の意識において、
それは多くの場合、強打を打とうとしているからです。

強打ができない、
入る確率がよくない、
威力がないのなら、
そのロング打法の基本は未熟だということです。

単にロング打法のラリーが打てても
試合で意味がありません。

指導するとき、
まず「強打」ということを意識においてから
スタートさせてください。

この指導者の心構えで、
生徒たちのその後の成長が大きく変わってきます。

ビギナーの子でも、2、3か月もすれば、
それなりにロング打法を打てるようになります。

中学に入学してビギナーからはじめた子であっても、
それから3カ月後の初出場の大会でも、
試合前のロング練習では
ほぼすべての子が
なんとかラリーをつづけているものです。

ここでほとんどの指導者は
基本というか
なんとか「サマ」になっていると思ってしまうのですが、
ほんとうは実際の試合で
そのロング打法が有効でないと
「サマ」になったことにはならないのです。

そのあかしは強打をさせてみることです。

スイングフォームが正しいものかどうかは、
強打することであきらかになります。

フォームがよくないとミスの確率が悪くなり、
よくなるに従って減ってきます。

卓球というスポーツは
たとえフォームがよくなくても
相手コートに入れることはなんとかできるというか、
できやすいタイプのスポーツです。

しかし、それが強打となると確率が落ちます。

入ることは入るでしょうが、
よいフォームとそうではないのとでは、
強打したときはっきりとした差がでるのです。

すこしラリーがつづくようになったら、
強打をさせてください。

その強打で
自分のレベルを自己判断することができます。

たとえば、多球練習で強打をやるとき、
指定したコース
(右利きのフォアハンド・クロスなら相手コートのクロスサイドに30センチの半円)
に30本中何本入るかという
ゲーム感覚でやるのもいいでしょう。

こんなことを述べるので、
ラリーの練習はやらなくていいのだ
ということではありません。

フォームがよくないと、
10本ラリーはできても
100本はなかなかできないものです。

ラリーがつづかないのは
基本ができていないということを理解させて、
100本ラリーに挑戦という、
ゲーム感覚でやらせると効果があがります。

日本人はフォアハンドラリーの練習が好きなのか、
練習といえば、仲間同士どうしで
何十分とフォアハンドロングのクロスコースを
えんえんと打っているケースや、
またそういう練習をやらせる指導者も多いのですが、
ただラリーをつづけるのは
あまり効果があがる練習法とはいえません。

わたしは生徒に集中させようとすれば、
100本ラリーがつづいたら
次の練習に参加できるというゲームを
部員全員でよーいドンでおこないました。

たとえば10分間フォアハンドの練習をさせるなら、
フォアクロスだけではなく、
バッククロス、フォアストレート、バックストレートと
4つのコースを均等の時間に分けて打たせます。

練習に飽きること、
また集中しないことをいちばん嫌っておりましたので、
いつもどうしたら飽きさせないのか、
集中させることができるのかについて頭をひねっていたのです。

強打ができること、
ゲーム感覚を練習で取り入れ、
飽きさせず、集中させることを工夫すること。

これはとくに中学生以下の年齢の子どもたちには
大切なポイントとなります。


その10(完結)

「サービスをもったら3球目攻撃」
この超常識を徹底的に意識・洗練・訓練をすること


⑧3球目攻撃

3球目攻撃の重要性――などとあえて言わなくても、
そんなことは常識中の常識だから、
卓球をちょっとでもかじったことのある人なら
みんなわかっていること、
と思われているかもしれません。

しかし、このことが意外というか、仰天というか、
まったく理解していない卓球歴30年や40年の人もいます。

しかも指導者やアドバイスしたがりタイプにも、
こんな人がいます。

「みんな3球目攻撃、やってませんでしたよ」

10数年前のことですが、
全日本の5、6回戦を観戦した、
婦人たちにアドバイスすることが大好きな
卓球歴30年の中年男性のひとことです。

それは言外に、
3球目攻撃なんてトッププレーヤーは考えていないんだ
ということも含んでいます。

わたしは、この彼の言葉というか、
その観察眼に唖然としました。

「おいおい、そうじゃないだろう。
3球目攻撃をしたいのだが、
相手のレシーブが簡単にそうさせていないだけで、
その意識は十分にあるんだよ……」

と、わたしは胸の内でツッコミをいれていました。
はい、言葉にはしませんでした。

あえて、言葉にすることも面倒くさくなるほどの
トンデモ発言だったからです。

こんな彼は、人にアドバイスすることが大好きな、
指導者なりたがり人間です。

困ったものと言うか、
その指導を受けるほうはたまったものではありません。

また、彼が大会に出場して
きまって1、2回戦で負けるとき、
相手の3球目攻撃にやられていることを
忘れてしまっているのでしょうか?

最近、カウンターやブロックが得意と
みずから述べるトッププレーヤーもいます。

そんな選手であっても、
3球目攻撃を意識してサービスを出しています。

3球目攻撃のことは、もう当たり前すぎて、
そこには触れていないだけなのです。

サービス+3球目攻撃、レシーブ+4球目攻撃。

この近代卓球のセオリーは、
現代卓球においても有効であり、
おそらく近未来の卓球においても
有効性はうしなわれないのではないでしょうか。

攻撃型タイプは、
このサービス+3球目攻撃、レシーブ+4球目攻撃を
徹底的に洗練させたほうが圧倒的に有利です。

そして、そのうえでの
「カウンターやブロックが得意」ということになるのです。

いや、3球目攻撃が重要なのは攻撃型ばかりではなく、
カットマンであっても重要なことにかわりはありません。

3球目攻撃を仕掛けないカットマンと対戦する攻撃型は
精神的にかなりラクなものです。

ふつう、攻撃型がカットマンと対戦するとき、
「対カットマン仕様」の意識と攻略スタイルになるものですが、
そこに3球目攻撃というオプションがカットマンに加わると、
すぐに「対攻撃型仕様」にチェンジできずに
対応が遅れがちになってしまうものです。

その点、3球目攻撃のないカットマンは、
攻撃型は安心してカット打ちに専念できます。

カットマンサイドから述べれば、
3球目攻撃をオプションに加えることで、
カットも活きてくるのです。

伝統校や強豪校の指導者は、
生徒にかなり3球目攻撃を意識させます。

ある伝統校では、
サービスを持ったほうが、5球目までに決めないと負け
というルールで部内ゲームをします。

どんなスポーツでも競争でも
「先手必勝」は戦いの原則です。

とくに卓球では、サービスを持ったら有利であるし、
さらに3球目攻撃が強力であると、
さらにいっそうサービスが効くようになります。

そしてサービスが効くと、
3球目攻撃もやりやすくなるという、
1(サービス)+1(3球目攻撃)=3以上の成果となるのです。

現代卓球ではラリーがつづくようになっています。
「飛躍の連打」でも述べましたが、
近代卓球のように、
3球目や5球目できまる、
ということがすくなくなってきています。

だからといって、
3球目攻撃の重要性が低くなってきている
ということではありません。

一見、両者が互角に打ち合っているラリーであっても、
強力な3球目攻撃を仕掛けたほうが優位に立っているのです。

試合で「勝ちやすいタイプ」になろうと思えば
つぎの点を優先的に訓練すればいいでしょう。

① サービス
② 3球目攻撃
③ 強打

たったこれだけです。
もちろん、このほかにも訓練すべきことはたくさんありますが、
少ない練習時間で効率のよい成果を求めるなら
以上の3点をまずは徹底的に強化させてください。

そうすれば、
すくなくとも都道府県大会レベルの予選は
容易に勝ち抜けるでしょう。

新進の卓球指導者のみなさんのご活躍を期待しています。

卓技研・秋場


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